日牟禮神社
275年、応神天皇が奥津島神社から帰還の時、社の近辺に御座所が設けられ休憩した。その後、その仮社跡に日輪の形を二つ見るという不思議な現象があり、社を建て「日群之社八幡宮」と名付けられたという。
691年、藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで日牟禮社と改められたと伝わる。
天降りの神の誕生(みあれ)の八幡かも ひむれの杜になびく白雲
日輪を二つ見たというのは、皆既日食の黒い太陽と、日食が終わり再び日光が漏れ出し、新しく生まれた太陽との二つと解釈することが出来る。
つまり、「神の誕生(みあれ)」とは皆既日食が終わり、「太陽が新しく生まれた」ことを指すと思われる。
「ひむれ」とは、「日漏れ」から転じたと思われるが、多分どこにも書かれていない素人の感想である。「むれ」とは元々は「山」「森」という意味のようで、当時は「おじいさんは山へ柴刈りに」のように、「山」と「森」は同じような意味で使われていた。
さすれば、「ひむれ」とは「日森」「火森」「檜山」「火山」など様々に解釈することが出来るが、それがまた真実を曖昧にする。
3月12日(土)は祭の交通規制で、バスはヴォーリズ学園前で停まった。ヴォーリズの近江兄弟社はメンタームで有名。