しかし、3年後の天正10年(1582)6月2日、明智光秀の謀反により信長は京都本能寺で自刃した。混乱の中6月15日、安土城から出火し、天主などを焼失し一夜のうちに落城した。原因は今も不明とされているが、織田信雄の失火説、明智光秀軍による放火説などがある。
天主には狩野永徳の渾身の障壁画が飾られていたという事だが、すべて火災で失われている。
ぐるっと東に300mほど回り込み、受付で700円を支払って、いざ安土城天主閣へ。
室町時代中期の仏足石。石段や石垣の材料として「仏足石」の他「石仏」多数が散見される。
地上6階地下1階の天主は、高さ33メートルあったという。礎石だけが残っている。
安土城を後にしてしばらく下ると、總見寺の三重塔が見えてくる。
近江名所図会によれば、總見寺本堂もここにあったことが分かる。今の本堂は徳川家康の屋敷跡に建てられたという。