安土城の總見寺(そうけんじ)三重塔付近から西の湖を望む。沖つ島山が見えている。

 

安土城

 

安土城は織田信長が天下統一を目指して天正4年(1576)、丹羽長秀を総普請奉行に据え、標高199メートルの安土山に築城させた。
現在は四方が干拓により陸地化しているが、当時は琵琶湖の内湖(伊庭内湖・常楽湖)に囲まれ、南方のみが開けた地形であった。
天正7年(1579)5月、我が国で初めて天守閣(天主閣)を持つ安土城が一応の完成を見た。

 

總見寺の参道階段。

現在は通行禁止になっている。

 

階段の途中で振り返ると、安土城の南側が見える。築城時から平野だったところだ。

 

本丸付近の石垣。

思ったよりも石垣がしっかり残っていた。

 

天主閣に続く最後の階段。

天守ではなく、ここでは天主と言うらしい。

 

琵琶湖を遠望する。

手前の田圃は当時、琵琶湖の一部だった。

 

信長公本廟。

 

ヒオドシチョウ。

東京・千葉では絶滅危惧種。

 

三重塔の階段は危険であると教えてくれた知り合いがいる。確かに三重塔に気を取られて歩くと危なそうだ。享徳3年(1454)建立。 

總見寺の仁王門。

元亀2年(1571)建立。三重塔同様に甲賀から移築されたという。

 

 

 

しかし、3年後の天正10年(1582)6月2日、明智光秀の謀反により信長は京都本能寺で自刃した。混乱の中6月15日、安土城から出火し、天主などを焼失し一夜のうちに落城した。原因は今も不明とされているが、織田信雄の失火説、明智光秀軍による放火説などがある。


天主には狩野永徳の渾身の障壁画が飾られていたという事だが、すべて火災で失われている。

 

ぐるっと東に300mほど回り込み、受付で700円を支払って、いざ安土城天主閣へ。

 

室町時代中期の仏足石。石段や石垣の材料として「仏足石」の他「石仏」多数が散見される。

 

本丸跡。

天皇用の「御幸の間」があったとされる。

 

地上6階地下1階の天主は、高さ33メートルあったという。礎石だけが残っている。

 

伊庭内湖方面を見る。

当時は琵琶湖の一部だったが、干拓された。

 

信長公本廟に続く階段。

 

安土城を後にしてしばらく下ると、總見寺の三重塔が見えてくる。

 

近江名所図会によれば、總見寺本堂もここにあったことが分かる。今の本堂は徳川家康の屋敷跡に建てられたという。

 

安土城天主の模型。

麓の無料休憩所に置かれている。