余呉湖の概観図。

 

余呉湖

 

近江八幡駅から余呉駅までは電車に乗って60分近くかかる。近江八幡駅から京都駅まで40分ほどなので、余呉湖は決して近いとは言えない。

 

余呉湖は湖北に位置する湖で、湖面が穏やかなことから「鏡湖(きょうこ)」とも呼ばれている。


余呉湖は琵琶湖とは賤ヶ岳(標高422m)で隔てられている。東西1.2km、南北2.3km、周囲6.4km、面積1.97㎢、最大水深13.5m、水面の海抜は132.8mで、琵琶湖とは約50mの落差がある。琵琶湖と同じ断層湖で、形成は100~200万年前と見られ、古い琵琶湖の一部だったものが約3万年前に分かれたとされる。

 

余呉駅周辺に、コンビニはないので、食料は事前に調達しておく必要がある。自販機が一台ある。

 

八重桜が満開だった。

 

左手にやや急な登りがある。

大岩山なので、大岩を一枚写しておく。

 

中川清秀の墓。

清秀没後100年忌に子孫が建立した。

 

新緑の紅葉林を抜けていく。

「木々の若葉は強がりだから……」井上陽水の「5月の別れ」を口ずさみながら歩く。

 

八重桜の向こうに、槍を携えた武士が疲れてしゃがみこんでいる。いつの時代も、戦争は悲惨だ。

 

下りは楽な道で、40分ほどで国民宿舎近くに降りることが出来る。標高差は300mない。

 

余呉湖の西側の遊歩道を40分くらい歩くと、余呉駅が見えてくる。

 

 

 

余呉湖東側の大岩山から賤ヶ岳にかけては紅葉が多く、秋の紅葉シーズンはハイカーで賑わう。
4月25日(月)、平日登山のせいか、大岩山から賤ヶ岳山頂まで誰にも会うことなく、ゆっくり野鳥・野草を観察することが出来た。

 

天正11年(1583)、羽柴秀吉と柴田勝家が、織田信長の後継者を競った、天下分け目の戦いが賤ヶ岳周辺で繰り広げられた。
賤ヶ岳山頂では「○○歩こう会」の下見の人達5~6人と出会った。賤ヶ岳の南東側にリフトがあり、古戦場巡りには便利だ。余呉湖周辺の山々と木ノ本に古戦場の遺跡があり、戦国時代の歴史好きには人気のスポットらしい。

 

余呉湖の東側に出る。

桟橋がある。釣り船が出るのだろう。

 

ここから登山が始まる。

 

大岩山には中川清秀の墓がある。

佐久間盛政の奇襲に会い、全滅したらしい。

 

マムシグサと思われる。

この植物が良く目についた。

 

賤ヶ岳山頂から北を見ると余呉湖がある。

晴れてはいたが、あいにく靄がかかって視界良好とは言えない。

 

賤ヶ岳の南西方向には琵琶湖が広がっている。

上部左端に竹生島がかすかに見える。

 

絵を描いているご婦人に出会う。

鏡のような湖面に木々が映える。

 

蛇の目玉石。

干ばつに苦しむ村人を救った菊石姫の悲しい伝説が残っている。