八幡山城跡から長命寺のあたりを望む。琵琶湖対岸ほのかに白く見えている山並みが比良暮雪。

 

 

第31番「長命寺」

 

「近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答えるであろう」(白洲正子「近江山河抄・沖つ島山」より)。

 

白洲正子さんの著作に魅かれて、「沖つ島山」を三度読み返したが、その美しさがイメージとして像を結ばない。行くしかないと決めて延び延びになっていたが、3月3日の朝、快晴の空を見て出かけた。

 

「寺伝によると、長命寺は、景行天皇の御代に、武内宿禰がここに来て、柳の古木に長寿を祈ったのが始まりである。その後、聖徳太子が諸国巡遊の途上、この山に立ち寄り、柳の木に観世音菩薩を感得した。その時、白髪の老翁が現れて、その霊木で観音の像を彫ることを勧めたので、寺を作って十一面千手観音を祀り、武内宿禰に因んで「長命寺」と名づけた。歴代の天皇の信仰が厚く、近江の佐々木氏の庇護のもとに発展し、西国31番の札所として栄えた。
(中略)山内には大きな磐座がいくつもあり、絵図に見るような滝も落ちていて、仏教以前からの霊地であったことを語っている。」(「近江山河抄・沖つ島山」より)。

 

白洲正子さんは九州の宗像大社との比較で、「沖つ島山」を語る。神社に馴染みのない方には何が何やら分かりにくい。
「宗像大社」は沖ノ島の「沖津宮(おきつぐう)」、筑前大島の「中津宮(なかつぐう)」、

 

 

長命寺の階段が始まる。808段あるそうだ。

 

30分ほどで長命寺の本堂に到着する。

 

仏教以前の信仰を窺わせる大岩。巨石は信仰の対象であったようだ。

 

雪の残る三仏堂、本堂、三重塔。

 

湾曲した琵琶湖沿岸部。長命寺も豊臣秀次の時代までは島の中だったらしい。

 

日牟礼神社へのバスを待つ間にジョウビタキが現れた。渡りのあいさつだろうか。

 

12時30分のロープウェイで八幡山城跡へ。

 

八幡山城の石垣の跡と思われる。

 

近江八幡の風情ある水路。

江戸期を通して天領だったせいか、近江八幡には裕福な印象を受けた。

 

 

 

宗像市田島の「辺津宮(へつぐう)」の三社の総称であるが、現在では「辺津宮」のみを指す場合も多い。

 

長命寺のあたりで宗像大社との類似性に気づいた白洲正子さんは、ミステリーの謎解きをするように「宗像大社」と「沖つ島山」との見立てに挑戦し、最終的には「大島 奥津島神社」の宮司から回答を得る。

 

長命寺の「美しさ」の正体は、白洲正子さんの知的興奮に裏打ちされた見立ての美しさであろう。
従って、このミステリーの謎解きに興奮しない人には、なぜ白洲正子さんが長命寺のあたりが「一番美しい」と答えるのか分からないだろう。

 

さて、解題であるが、長命寺のあたりでは、沖島が「沖津宮」に当たり、「大島 奥津島神社」が「中津宮」に当たり、近江八幡の日牟礼神社が「辺津宮」に当たることを白洲正子さんは突き止める。

 

宗像大社との比較で言えば、下のようになる。
沖ノ島「沖津宮」―沖島
筑前大島「中津宮」―大島 奥津島神社
宗像市田島「辺津宮」―近江八幡 日牟礼神社

 

<参考資料>
「近江山河抄」講談社文芸文庫1994年(初版は1974年)

 

途中から優しい石段ではなくなってくる。

 

本堂(左)と三重塔(正面)。

 

信仰の対象であったことを示す案内板。武内宿祢は蘇我馬子の祖先とされる。

  

太郎坊のあたりからの琵琶湖の眺め。

 

長命寺の麓に「日吉神社」がある。「かくれ神」なのだろうか?

 

日牟礼神社本殿。

左上に拝殿のひさしが写っている。

 

ロープウェイから街並みを俯瞰。

 

八幡山城跡から岡山方面を望む。

 

近江八幡と言えば、メンタームでしょう。

ヴォーリズ兄弟の創立で、学校法人ヴォーリズ学園を持つ。