繖山(きぬがさやま)頂上付近から「西の湖」を見る。手前は織田信長の安土城で有名な安土山。

 

桑實寺(くわのみでら)

 

「自然というのは不思議なもので、どんなに景色が美しくても、歴史のない土地は、私には無性格な、たとえば絵葉書みたいなものに見えてならない」。

 

白洲正子「かくれ里」を読んでから、桑實寺の石段を登りたいと思っていた。
地図を見ると繖山(きぬがさやま)の縦断コースは5時間の行程だという。

 

3月5日(土)、下見も兼ねて石馬寺にも行きたいので、桑實寺―観音正寺―石馬寺コースとし、京都発8時07分の新快速に乗り込んだ。8時52分に安土に到着し、安土城郭資料館でガイドマップをいただいて9時頃から歩き出す。

 

 

正面に見えているのが繖山。安土駅から30分ほど歩くと桑實寺だ。

 

桑實寺の石段はここから始まる。

寺まで15分ほどかかるらしい。

 

階段に椿が落ちていた。

特に美しいわけでもないが、季節が分かる。

 

本堂は戦禍にも会わず、南北朝時代の建立。

10時頃、本堂を後にして山道に入る。

 

観音寺城跡。右手に虎口が開いている。

近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城だった。

 

三角点(頂上)を目指す。

 

繖山頂上から少し下がったところから、西の湖を見る。 埋め立て前は琵琶湖の一部だった。

 

石仏群?の左側にある魚籃観音。

東京都港区魚籃坂の魚籃寺のものも有名だ。

 

11時45分に観音正寺を出発して、すぐ「ねずみ岩」に到着。岩と石仏が多い。

 

優しいお顔の観音様。

卓球の「愛ちゃん」にどこか似ている。

 

佐々木城址。「ささき」とは「陵(みささぎ)」からきているらしい。

 

寄り道が多かったので、石馬寺の麓の村に着いたのが13時15分。観音正寺から90分歩き通しで、疲労が蓄積してきた。

 

石段を登り切った所に「雨宮龍神社」の鳥居があり、手前右が石馬寺。

 

石馬寺の石庭。

 

石馬寺の石仏群。

 

 

 

 

桑實寺は訪れる人も少なく、皆さんにも馴染みのない寺と思われるので、先に概要を「かくれ里」から記しておく。
この寺のことを私は、絵巻物の「桑實寺縁起」でしか知らないが、それによると、天智天皇の時、阿閇(あべ)の皇女(後の元明天皇)が病にかかり、琵琶湖にるりの光り輝く景色を夢に見られた。そこで法会を営んだところ、湖水の中から生身の薬師如来が現れ、皇女の病は平癒した。
その薬師如来を祀ったのが、桑實寺の起こりで、桑の実というのは、天地開闢の時、一株の桑の大樹があり、その実が落ちて山になった。それからとった名称であるという。

 

<参考資料>
白洲正子「かくれ里」講談社文芸文庫1991年(初版は1971年新潮社より)

 

このあたりには見どころが多い。

瓢箪山古墳に今回行けないのが残念。

 

桑實寺の山門が見えてきた。

ここから本堂までが結構長いのだ。

 

本堂に到着したのが9時30分くらい。

十二神将像が特に良かったが、撮影は遠慮した。

 

こんな山道がどこまでも続く。

観音寺城跡まで誰にも会わない。

 

案内板が古びて読みづらいが、日本五大山城の一つに数えられる。繖山全山に、一千に及ぶ曲輪(くるわ)があった。

 

標高432.7メートルの繖山頂上に11時到着。

 

観音正寺の本堂脇の石仏群?

山が崩れないように石垣の代わりだそうだ。

 

観音正寺本堂。

西国三十三所第32番札所として観光名所。

 

今は通行禁止の「奥の院」へ続く鳥居。

かくれ神が潜んでおるらしい。

 

東京の佐々木さんの御先祖のお城らしい。

こちらからなら多分「奥の院」に行ける。

 

途中、城めぐりの団体と出会い、寄り道して古い石垣を見て回った。こちらは伝淡路丸跡。

 

石馬寺への階段を登り始める。

たくさんの塔頭寺院があり、今は石垣だけが残っている。

 

雨宮龍神社は繖山の稜線にあるので、もしかしたら縦走路から石馬寺に降りられたかもしれない。

 

石馬寺からの下り階段。

 

聖徳太子の乗ってきた馬が石に変わった現場が今も保存されている。中央の石がそれ。

 


<石馬寺の歴史>石馬寺配布のパンフより

石馬寺は聖徳太子の建立以来、法相宗、天台宗と転宗し、近江源氏佐々木氏の厚く帰依するところになりました。しかし、永禄11年(1568)織田信長の上洛に抵抗した佐々木承禎との戦いによる戦禍を受け、伽藍や院坊のことごとくが信長による兵火に会い、昔日の壮観を二度と見ることが出来なくなりました。

さらに、豊臣氏が天下を取ると寺領及び山林を没収され、山主や僧徒は退散を命じられたのです。

慶長8年(1603)徳川家康により石馬寺が復興。

 

宝物殿には重要文化財が多数陳列してある。中でも大威徳明王牛上像(平安時代)と役行者大菩薩腰掛像(鎌倉時代)は一見の価値があると思う。

 

<追記>

宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」は魚籃観音をモチーフに創作されたものではないだろうか?

崖の上のポニョも魚籃観音も魚の上に乗って、津波を鎮める役割を担っている。宮崎監督はこのことに触れていないと思われるが、多分創作上の秘密(かくれ神)だと思う。